ストラスブール市(Strasbourg:フランス)


【概   要】

“美しきヨーロッパの十字路・仏独文化の出会う国境の都市”と紹介されるストラスブール市は、ドイツと国境を分けるヨーロッパの大動脈ライン河のほとりに位置している。人口は25万人で、この地方(アルザス:Alsace)の州都でもある。歴史は古く、紀元前12年には町が拓かれ、1989年には建都二千年を祝っている。「街道の町」を意味するストラスブールは交通の要衝として独自の発展を遂げてきたが、第二次世界大戦が終息するまでの73年間に、5回も国境が変わるなど、“明日から自国の言葉が話せない”という「最後の授業」に見られるような苦難を、何度も経験してきた地域でもある。

そういった複雑な歴史の中でアルザスの人々は、ラテン・ゲルマン両文化を融合させた独特な風土と、開放的で調和を重んじる伝統、文化を育んできた。また「プチ・フランス」と呼ばれる地域には、装飾的な木の柱の構造が美しい16〜17世紀の町並と、二千年前の古い建築群が残されている。また、1017年からおよそ400年をかけて建設された、142mの尖塔を持つ、ゴシック様式のカテドラル教会を中心として、ライン河支流のイル川と運河に囲まれるこれらの旧市街地はユネスコにより「人類の世界遺産」として指定され保存・環境保存にもカが入れられている。


ストラスブール市内
ストラスブールはアルザス地方の中心地であるばかりでなく、陸海空の交通網、資源、人的 風土などの様々な立地条件から、1992年12月のEUサミットにおいて欧州議会本会議の恒久開 催地としても決定され、欧州評議会、議会などヨーロッパをリードする国際機関が数多く存 在するなど、“ヨーロッパの首都”としても位置づけられ、欧州議会会議場の建設も進んで いる。また近年、産業の発展もめざましく、ライン河周辺の郊外には数多くの外国企業が進 出し、大学等高等教育・研究機関の充実を含め、総合的なバランスの取れた、将来性豊かな 地域として期待されている。

【要  旨】

フランスは人口5千8百万人であるが、市町村数は3万6千と非常に多いのが特徴である。
その区割、数共、フランス革命当時からほとんど変わっていないという長い歴史がある。さらにこの上に、100の県、22の地方(州)、そして国(=政府)があり、各レベル毎に権限、議会(議員)が存在す自治体の構成人口は1万人以上のものが約2%、県の最小では7万人(平均60万人)と細分化されているが、『(地域の)教会の“鐘”は自分たちが守る』といった意識、独立性が強い気風があり、市町村の合併を試みた大多数が敗している。しかし難しい問題を含みつつも、広域県の構想を持っているところもあり、グループ化の流れは進むものと見られている

 
ストラスブール市役所
ストラスプール市では25年前に近隣の27市町村と「広域自治体」を結成し数少ない成功例(フランス全体で9例)となっている。広域自治体の人口は43万人、議会議員はストラスプール市議会議員61名に対し、90名で半数が市議会との兼務となっている。広域自治体は主として、道路、下水道整備等を担当し、市町村では文化スポーツ振興等の事業を行っている。

 
ストラスブール市の各セクションの責任者
ヨーロッパ各都市の、それぞれの「文化」に対する考え方、意識のレベルは高く、アングロサ クソン民族は、文化とは『人間の全てのニーズに応えるもの』と捉え、フランスでは『無償 であり、生活に潤いを与えるもの』と考えているという話があったが、その重要性に対する 認識は同じであると感じた。文化行政は各都市の独自の事業として実施され、ストラスブー ル市では総予算の20.8%、総額で4億2千万フラン(約77億円)を計上している。また、市の文 化担当職員は900名おり、計画から実施までの高い能力を持っているとの説明であった。
『プチ・フランス』の二千年前(!)の建物
 
市内には、美術館・博物館が8、図書館1、交響楽団1、オペラ1、劇団3、そして国立劇場が1つある。また、音楽・ダンスなどの学校は17を数え、その他多数のグループが存在する。文化予算の内、最も割合が大きいのが音楽関係で、その半分を占めている。クラシックからJAZZ、そしてロック、ラップといった若者音楽まで、幅広く活動・援助が行なわれている。交響楽団は団員110名、事務スタッフ20名で構成され、「公務員」としての活動がなされている。余談ではあるが、そのバーカッションには日本人1名が在籍している他、高等音楽院には数人の日本人講師が活躍しているとの話であった。

市政スタッフの責任者は6年毎に選挙による市民の審判を受けるため、その時々で政治的カラー、文化的カラーは変化せざるを得ない面もあるものの、文化行政への政策は一貫したものとなっている。『教育=創造=(イメージの)伝搬』を3つの柱とし、芸術性への干渉はせず、環境づくりにカを入れており『文化には考えるより3倍お金がかかるが、6倍の結果となって返ってくるとの考えを交え話があった

また、建築物の文化的保護という面では、二千年の歴史があり、国や他都市との連係を取っ て進めている。特に、車による環境破壊を避けるため、旧市街地への車の乗り入れを制限す ると共に、公共輸送手段として「市電」の復活・採用が決定され、3箇年の工事を完了し、(丁 度)この11月から運用が開始される予定となっていた

ストラスブールは、16世紀のプロテスタントの『宗教改革』や『ヒューマニズム運動』の中心となったことでも有名であり、そしてこの考え方は、この地で発明されたグーテンベルグの『活版印刷技術』で世界に広められた歴史がある。以来、伝統的に教育熱心な土地柄で知られ、大学入学資格試験(バカロレア)の合格率が際立って高いことにも現れている。ストラスブール市内の3校をはじめ、半径20kmの地域に20(!)の大学があり、進学率も高い。ストラスプール市の人口の25万人に対し、学生数は5万人に上っている。


『プチ・フランス』の16、17世紀の建物。“梁”の木組みが美しい。
先に訪問したオーストリアの首都であるウィーン市では大学進学率が極めて低く、160万人の人口に対し、大学はウィーン大学1つしかないことと両極端をなしている。また、ドイツ、スイスとの3国間で『ライン河上流地域大学連合』を結成し、各国大学間における単位の相互認定制度も確立されており、交流、協力が進められている。

さらに特徴的なことは、アルザス地方全体での160万人の人口に対し、40歳以下の「若者」が60%を占めていることが上げられる。良好な人柄と環境そして高い文化レベルに加えて、非常なダイナミズムを内包した地域といえる。

また、ドイツ国境のライン河まで4kmという、ラテン・ゲルマンの二文化の混在地域であることから、独・仏二カ国語を常用語として使用し、さらに会社等のエグゼクティブ(管理職・幹部)は英語も話すことから、「国際化」への条件はおのずから揃っているといえる。
プチ・フランスの「運河」。
ストラスブール市内を流れるイル川
  第二助役のN.アンジェル氏によると、アル ザスの人々と日本人は良く似ている、とい う。“アルザスの人々は夕方5時までは、 ゲルマン民族の勤勉さで働き、5時以降は ラテン民族の陽気さで過ごす”からという 話であった。しかし、開放的な風土に根ざ した、質の高い労働力に限らず、豊富な資 源やエネルギー、自然環境の豊さなど企業 に必要とされるものは「全て」といって良い 程、集約されているといえる。

ライン平原に 位置するアルザスは、地域八千人の研究者 に支えられ、産業構造も多様であり、企業 を支える中小企業の層も厚い。過去25年間 に新たに 500社が立地し、EU諸国、米国、 カナダ等の多くの国々そして日本の企業 (ソニー、リコー、ヤマハ等)が進出して いる。ソニーの1,800人をはじめ、雇用の40 %は外国企業関連であること、仏国内での 人口一人当たり輸出額が第1位であること にもこの地域の特色の一端が現れている


今回の訪問に当たっては、特に、市当局の手厚い対応と周到な準備に頭が下がった。国際会議の通訳を勤めるという「広田さん」の見事な語学カに負うところも大きかったが、それぞれの担当者の説明も簡潔で良くまとめられた内容であった。さらに、市の「助役」(各担当毎に10人程いる)の第一、第二助役が説明をしてくれたことや歓迎レセプションでは広域自治体議会議長の挨拶をいただいたが、これも、これまでのアルザスと日本との交流の探さと、今後への期待の現れともいえる


また、ストラスブール大学に「日本語学科」が設置されているのをはじめ、1982年には日本にもアルザス代表事務所の開設、日本からはストラスブール総領事館の開設、成城大学アルザス校の開校と結びつきは強い。また、それを実現した理由の一つは行政サイドのバックアップそして担当者の熱意であったことは想像に難くない。さらに、各スタッフの力量も非常に高いと感じたことも付け加えておきたい
セント・ポール寺院

【感想及び所感】

ホテルは、ストラスブールの駅前広場に面していたが、その数軒隣にレストランがあり、皆で食事をした。そこのマスターに料理を注文しようとしたら、『数年前に日本に行ったことがあり、とても親切にされ嬉しかった。感謝の気持ちを込めて料理を作るから、メニューは自分に任せてくれ』といい、張り切ってご馳走してくれた。ちなみに、「フォア・グラ」はストラスブールが起源ということでしっかり出てきたが“その人の好みによる”という味であった。

また、別なレストランでも、「やあ、日本人だね!」 とニコニコして手を振ってくれるおばさんがいたり、非常に親日的な雰囲気のまちであった。市の若い担当者も、「今、日本語を勉強している」という人がいたり、前出の第二助役のN.アンジェル氏も日本文化には非常な興味を持って語ってくれ、「20年前から翻訳で大江健三郎を読んでいる。谷崎潤一郎に匹敵する作家だ。」と賞賛してくれたが、その後の“ノーベル文学賞受賞”を見通したような話であった。

今回、ヨーロッパの色々な都市を見ることができたが、それぞれに美しさを持った街並みであったその中でも、プチ・フランスの中世の木造の民家の美しさは感動的だった。教会建築や城といった建物は美しかったが、一言でいえば、いわば“人を圧倒するような”威厳なり、装飾なりを施されたもの、といえるかもしれない。しかし、プチ・フランスは、人の生活や心にもっと近いような、そんな優しさを持った街並みと感じた。考えてみると、日本人も長い間、木造の住宅をつくり住んできた民族であり、そういった面からもアルザスの人々と精神的な感じ方、考え方の深いところに「共通」のものがあるのかもしれない。

また、ヨーロッパの各都市の、そのいずれの街でも、悠久の年月を超えて、建物も文化も、現代まで伝えられていることに驚かされた。各都市とも、それぞれに住む人々の考え方、気風は異なっていたが、「自分たちの歴史・文化を守る」という確固とした意志は共通のものであった。労力と費用と時間をかけ、「民族の誇り」みたいなものが、それを可能にしているのかも知れない。

各都市とも、教百年も前に『都市計画』が終わっているような街並みなのだが、そういった面での「古さ」は感じられなかったのも一つの驚きだった。十分な交通量が確保できる広い石畳の道路は、現在の車社会を見通しているようにもみえて、各国との攻めぎ合いの中で、何万人、何十万人の軍隊が移動したなごりなのかも知れない。そんな中で、ストラスブールの街並みはあまりにも無防備に見え、逆に独自の歴史を感じることができた。
カテドラル大聖堂(142mの尖塔)
このスケール!(入口付近の人の何と小さいこと…)

プチ・フランス(16〜17世紀)の装飾的な木組みの壁
1994.10.19.Wed. 9:00〜12:00

(2001.8.10)


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