日常?風景


    『看板』 寮に入って、まず覚えなくてはいけない?のが「社交ダンス」だったかも知れない。寮祭の他、色々な機会に(通称)‘ダンパ’は開催された。入学してしばらくすると、(寮生の)社交ダンス部の‘部長’の指導で、(食堂で)ダンス講習会があった。‘踊りの師匠’さんを招いて(民謡の)『さんさ踊り』なども習った記憶もあるので、市内の‘祭り’にも参加したのかも知れない。(←もう、忘れた。)それから、『交歓会』(今でいう‘合コン’かな?)。これは(部屋毎で適当?に相手を見つけ)‘平泉’や近くの‘牧場’などに出かけたりしたことも、(たまに)あった。

しかし毎日、夜は遅かった。夜中の3時頃にギターを弾いて歌い出す人もいたし、明け方まで(だいたい)どの部屋も電気がついていた。‘議論’に熱が入ることもあったし、連れだっては、『上田会館』あたりに‘飲み’に行くこともあった。毎日が楽しく(忙しく?)、退屈することはなかったように思う。そして深夜、お腹がすくと‘アタック’と称して、食堂に残っている‘麦飯’を持ってきて、‘チャーハン’などつくって食べたりした(こともあった)。しかし、(学校での‘実験’などで)夜遅く帰ってくる人も多く(特に、早い時間の)アタックは厳しく?禁止されていた。(‘アタック’がなくなることは…なかったが。)
同袍寮‘跡’に残った並木。
(今考えてみると)同袍寮生は‘新しもの好き’であったように思う。その時々、色々な‘ブーム’が発 生した。そのひとつが、(Aoki氏による)FM放送『オールナイト同袍寮』。資機材は…というと、(何のことはない)ワイヤレスマイクが一本。Aoki氏は、おしゃべりや音楽を(マメに)オンエアしていた…。 でも、(ラジオの周波数を合わせて)聞く人は多かった(かな?)。あと、大流行したのが、‘ケン玉’。
4棟新(4N室)の‘Dara’こと、Sくん。半年?後、Kosyuも‘この場所’に移った。
仕掛け人は、(例の)Kanou君。少し大きめの(競技用?)ケン玉を持って歩いては、「飛行機」「振りケン」「灯台」「人工衛星」「世界一周」…など、‘技’も豊富だった(←あまり‘成功’はしなかったが…)。 (前出の、1年生だった)‘コマシ’くんは、ケン玉を借りて…‘徹夜!’で練習したり、してましたね。「岩手県寮連」に対抗して『同袍寮‘ケン連’』を発足しようという‘気運’もあったが、(これは、さすがに…)立ち消えになった。実は…Kosyuも、いまだに「スマッシュケン」や「振りケン」「人工衛星」などは、‘得意技’なのであるが…。

その他の‘マイブーム?’としては、「(四つ玉)ビリヤード」「ボーリング」「パチンコ」(←‘大学時代’で卒業?したが)「麻雀」…「釣」「登山」、あとは「パイプ作り」。「麻雀」は、(後輩の)‘インスタントラーメン’を賭けたりしてましたね。ハハ、あとで返した?けれど…。(でも、決して『立てば‘パチンコ’座れば‘麻雀’、歩く姿は‘千鳥足’』…なぁんてことは、なかった。念のため。)ただ、(何でもやってみよう精神?だったが)「盛岡競馬場」(だけ?)は、(‘お買い物’には)いかなかった。

‘運搬’中。同袍寮は、こういう時の‘まとまり’はよかった。
あと思い出すのが、‘ハングライダー’。先輩に某放送局で‘バイト’していた人がいたのだが、(放送の)‘ネタ’に困ると、色々と‘仕掛けて’きた。当の本人も『狸を追いかける‘大学生’』などと(みずから‘主役’で)‘特集’として放送されていたりして…いた。(それはさておき)その頃‘ハングライダー’などは、聞いたことも見たこともない‘時代’で、いくらか?知識のあった機械科の先輩が中心となり(‘竹製’で)製作をした。そして、機械工学科教授の「航空理論」に基づく‘検討’もしていただき、‘完璧’(のハズ)だった。そして、完成した‘ハングライダー’は「小鹿牧場」でフライトすることとなった。テレビ局の‘取材’に合わせ、その日の朝、大勢の同袍寮生が集まり、(歩いて)運搬した。しかし、(なにしろ)できあがった‘ハングライダー’は、大きくて…ほとんど道幅いっぱい!だった。そのため、交通量の少ない、明け方(とはいえ、真っ暗な4時頃?)に岩大を出発したように思う。しかし早朝とはいえ、車の通行はあり、ほとんど‘デモ状態’だったかも…。
‘朝もや’の中、‘飛行開始。
いかにも…‘飛んだような’感じ…。(^_^;) (1972年6月頃?)
紅梅寮の横の道路を北に向かい、朝もやの立ちこめる「小鹿牧場」に着いたのは、1時間以上も歩いてからだった。そして、牧場の斜面を利用して、試験飛行。だが…、よく飛ばない。(あとからの分析によると)、「垂直尾翼」に相当するものがないためだった。(要するに)ハングライダーは翼の部分の‘布’を(やや)ゆるく?することによって‘方向性’を出しているのだが、あまりにもぴんと張ってしまったのである。午前中、何度もトライするが、飛ばなかった。もう、朝は早かったし、疲れて、Kosyu以下(大部分は)帰ってきたのだが、(がんばって)残った‘チーム’は、午後に(すこしだけ)飛行に成功した…らしい。その夜、(申し訳程度に)飛んでいる姿が放送されていた。お疲れさま。
重すぎた?パイロット、Nagasawa某氏。 で、 記念撮影。ピタッ!Muji、Funa、Hama、Ageishi、sin、Suzuki。(前列のみ:敬称略)


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