●
|
‘恋’も…した
|
● |
こういうことになると張りきるのが、(前出の)Kanou君であった。2年後輩で、「ゲンちゃん」という寮生は、(なんのことはない)‘初デート’が『一関の‘厳美渓’』に行った、というので、それからというもの(厳美渓の)‘ゲンちゃん’と呼ばれることとなった。入学してきて、すぐに‘彼女’ができたchiba君は、(未だに)‘コマシ’と呼ばれている。←でもchiba君は、その時の‘彼女’一筋…(6〜7年かかって、卒業した後に)結婚して幸せな家庭を築いている(らしい)。 こういった‘情報収集’と‘命名’は、Kanou君の得意とするところで、その他にも‘ポンビキのお兄ちゃん’とか‘ダラ’、そして(理由は…ここでは書けない…が、一年先輩なのに)‘タマさん’とか…、いろいろな人の‘名付け親’となった。しかし、当のKanou君は、大学時代(特に)‘浮いたうわさ’はなかった(みたい)。(でも卒業した後、大学の‘1年後輩’と結婚し、幸せな家庭を築いている。) 寮の‘役員’をしていると、(‘女子寮’はじめ)他の寮との交流が(とっても)拡がる。特に、‘元寮長’には『‘地位を利用した’(不当な?)交際』と、(やっかみ半分)非難?を受ける人も多かった。紅梅寮の『元寮長』と結婚した同級生が2名、その他「モリタン(ひめかみ寮)」や「桐和寮」も人気が高かった。私も?2年次の後期、文化部(長)となった。県寮連の‘秋レク’、そして日赤高看寮なども含めての文集『紫桐』の発行など、各寮(文化部 )との交流も結構深かった。
しかし…、(忘れもしない)昭和51年10月29日。(最近、どうもようすがおかしい…と)電話をしたら『私、好きな人ができたの…』。!!。その後、…その晩は、1時間くらいの間に…(ひとりで)ウイスキーを2本!空け、‘大騒ぎ’をした(…らしい)。学生時代に酒を飲み、(救急車で運ばれたことはなかったが)‘血を吐いた’ことが3回ある。その(最後の)1回がこの夜…。
|
そして、年があけた4月、わたしは‘焼け野原’のような郷里の酒田に、(就職とともに)帰ってきた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------- しかし(蛇足ながら)、このことがあってこそ、(今の)「女房」と知り合うことが出来、また、かわいい?3人の、息子と娘の‘親’となることができたのは、Kosyuにとっては(一番の)幸せである、と考えている。そして、‘この経験’によってKosyuも(いくらか)人間的?にも成長したと思うし、‘Sさん’にも…、(今となっては)とても感謝している。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
|
||
![]() |