盛岡の冬


  同袍寮の3棟と4棟の渡り廊下。‘つらら’の長さ!
盛岡の冬は、寒い。しかし、日本海に面した東北の港町で育った私には、「冬でも天気がいい!」「冬でも、風がない!」ことに、とっても驚いた。そして、うれしかった。どのくらい冷えるかというと、例えばバケツに入った水が、朝になると‘バケツの形’で芯まで‘氷’になっている。そして冷え込んだ夜には、外に出ると、鼻 がムズムズする。どうしてかと考えたら、(鼻から出る)‘息’が‘鼻毛の先’に凍りつく!のだとわかった。‘目’だって、シバシバする。(←これは、‘涙’が凍りつく…のかは、今となっては、断言できない。)

冬の「高松の池」。(提供写真:sinちゃん
また、近くにある(割合と)大きな『高松の池』が、そのまま(天然! の)スケート場となる。一周400mのリンクと、一般用のリンクが(たっぷりと)とれるので、冬にはよく滑りに行った。
しかし、同袍寮は‘窓’(も戸も、すべて)‘たてつけ’が悪い。(←古いから…)だから‘すきま風’が入る。雪の降った朝などは、枕元にうっすらと‘雪’が積もっている!こともしばしばだった。そのせいで、(私の盛岡最初の)冬は、毎朝!風邪をひいていた。同様、床もスキマだらけである。(これは春先の話だが)新入生が(あまりの汚さに)部屋の‘掃除’をして、先輩に‘怒られた’という話を聞いた。
4棟の2階から見た「工学部方面」(1972年2月)
掃除をすると、床の‘スキマ’につまったホコリやチリが取れてしまう。だから、寒くってたまらない…、のである。

寮の暖房器具は、(初めて見る)「薪ストーブ」だった。秋が深まると、寮生総出で‘薪入れ’作業があった。冬の間使う(同じ長さに切り揃えられた)‘薪’を寮の、壁いっぱいに積み上げるのである。しかし、冬の寒さは厳しい。暖まらないので、「薪ストーブ」をどんどん焚く。しかし、そのうち…、上の部屋の住人から‘苦情’がくる。(‘パンツ一枚’で、怒鳴り込んできて…)『暑くって、寝られない!』。…ストーブの熱は、そのまま上の部屋にあがるのである。(^_^;)

冬は(でも)スキー!!「体育の授業」も、体育館の前に‘バス’が待っていて、近くの牧場で‘スキーの授業’なのである。…だから「後期」の体育の‘単位’は取った。前期は…‘出席の必要な’「外国語」と「体育」とかは‘全滅!’だったのである。(でも私は、『再試験の‘鬼’』と化し、それ以外の‘単位’は、皆!取った。←先輩の‘ご指導’を受けて、‘とりやすいもの’から科目を選択していたせいもあるが…。おまけに、‘試験’は、先輩たちに‘傾向と対策’をしっかり教えてもらってたし…。)それはともかく、体育科主催のスキー合宿もあった。3日間の合宿は、何回分かの‘出席’に換算されるので、(必要に迫られて?)参加した(…のだったかもしれない)。ぶっころんで、‘両膝捻挫’ということもあったが、楽しかった。「網張スキー場」「八幡平スキー場」「田沢湖スキー場」と、良く出かけたな…。

  網張スキー場にて。HamaくんとKanou氏とKosyu。(1973年2月

田沢湖スキー場にて。この日は暖かく、おまけに快晴! (1973年4月
いつ頃だったか…、群馬(出身)のKanouくんと親しくなった。それまでも、顔見知りで、仲も悪くはなかったのだが、‘あること’がきっかけで(急に)親しくなった。‘あること’って、(しょうもない話なのであるが…)ある朝、Kanouくんが、私の寝ている部屋に来た。用というのは…、『Kosyuの‘オ○ン○ン’が、3cmだった‘夢’を見た』…ので‘確認’にきた!というのである。その日は…「やめろ」と「みせろ」で、ちょっと騒々しい朝になった。(‘夢’では、3cmの‘マッチ棒?’だった…らしい。まったく…。)

(ま、それはともかく)冬休みになり、『群馬にスキーに来ないか?』と誘われたのだが、それ以降、毎年!正月は群馬のKanou家で過ごすこととなった。とっても、お世話になったし、(おまけに)たっぷりと‘お酒’もごちそうになった。(Kanouくんのお父さん、お母さん!どうもありがとうございました。<(_ _)>)

…で、やっぱりスキー。草津スキー場や武尊(ほたか)オリンピアなど(お父さんの車を借りて)また、泊まりがけで出かけた。「草津」は、‘一日券’が安かったし(600円!)、「武尊」は、‘宿泊’が安かった。そして冬でも、群馬は(スキー場以外は?)雪がなく、毎日天気も良かった。「赤城山」「榛名山」、「浅間山」も近かったし、あちこち連れて行ってもらった。
‘焼きだんご’とか、‘こんにゃくの刺身’、そしてお母さんの‘手打ちのそば’とか、おいしいものもたくさん!ごちそうになった。(2人の‘妹さん’もかわいかったし…。)そして、 この‘群馬行き’は、(私が卒業するまでの)6年間!、毎年恒例の‘正月イベント’となった。ハハ、返すがえすも、お世話になりました。

この‘罪ほろぼし?’のため、(大学生となった)息子と娘には、「いつでも、何人でも連れておいで!」と言っている。何人でも、何日でも、来てくれれば、Kosyu家では‘大歓迎!’なのである。


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