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寮の風俗?と寮祭
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寮の風俗?のひとつに‘ストーム’があった。これは、北杜夫の‘青春記’の中に出てくるので知ってはいたが、(昭和20年代前半頃までの)「旧制高校」でのお話だと思っていた。しかしまさか、自分が‘体験’するとは思わなかった。簡単に紹介すると、お酒を飲んだ一団が(大体は)騒ぎながら、「ストーム!!」などと叫びながら、部屋のドアを叩いたり(蹴ったりして)入ってくる。そして、お互いに‘握手’をして、自己紹介などをしながら‘お話’をする…、文にするとこれだけなのであるが、そのようすは北杜夫著の『ドクトルマンボウ青春記』に詳しく(かつ、面白く!)載っているので、(興味がある方は)ぜひ、お読みください。
同じく旧制高校の風俗に‘弊衣破帽’(へいい・はぼう)がある。実は、岩大のすぐ側に(名門)「盛岡一高」があるのだが、当時(昭和46年頃)そこの高校生は、引きちぎったような帽子をかぶり、醤油で洗ったようなツンツルの学生服、(加えて)‘腰手拭い’に‘高下駄’で、‘白いズックの鞄’を地面すれすれまで引き延ばして肩に下げ‘闊歩’していた。これには‘唖然’としたが、(盛岡市民の名誉?のために付け加えて置くが)盛岡や岩手県が時代に取り残されていたとか、文化が遅れていたということでは、決してありませんので、誤解のないようにお願いしますね。
(当然)毎年各寮での、テーマ・内容は変わるのであるが、持ち味・雰囲気は各寮の‘伝統?’があって、一種独特の‘カラー’があったのは、(今考えると)面白い。同袍寮は(どの棟も)‘裸系’。『‘モリタン’』チームは毎年センスも良く、素晴らしいまとまりを見せた。一方、構成も凝ったもので(きっと、相当の時間をかけて)準備をしているようなのであるが、いつも‘小学生の劇’風となってしまう『紅梅寮』、そして‘土臭い’『自啓寮』、‘まとまらない’『北謳寮』…。『桐和寮』は、『紅梅寮』と『モリタン』の‘中間くらい’の感じ、かな? |
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圧倒的な得票数で優勝した、4棟の『ピンポンパン体操』。この頃から(すでに)‘Kosyuポーズ’ですね…。(1972年7月)
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‘行列’は、岩大に集合して、(繁華街で‘歩行者天国’となる)「大通り」をとおり、盛岡公園(盛岡城跡)までの、およそ3kmのコースで、公園の‘広場’で最後にパフォーマンスをして終わる。途中、見物の市民の方々に‘投票用紙’を配り、その得票数で順位を決定する。同袍寮は、常にどこかのチームが優勝し、また(常に?)第2位は、『モリタン』であった。私が1年の時には、(私の属する)‘3棟チーム’は「河童」で第三位だった。(優勝は、‘4棟’の「土人の裸踊り?」。)また、2年次には、(‘4棟’で出て)「ピンポンパン体操」で優勝!。このときの‘圧勝’の教訓として、@子供に受けるものは強い、そして、A動きのあるもの←とくに‘かわいい振り付け’は不可欠である、と学習した。 |
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この年、『同袍寮』と『自啓寮』は、‘新寮’に建て替えられた。しかし、同袍寮は階毎に参加。4階、優勝。(1973年7月)
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そして、(‘新寮’となった)3年次は、(前年の教訓を生かし?)『4階チーム』は、「小人のカーニバル」で優勝!。(写真ではわからないが…)小人たちの‘かわいい踊り’は大好評!でしたね。(私だけが)手の部分(腕)に‘棒’(たまたまあった‘竹刀’)を入れたのだが、踊りの‘腰’の動きにあわせて‘手を振る’感じで、とても目立ってましたね。(私も…、この頃はとっても‘スリム’でしたし…。) |
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