TOP BACK NEXT
金峯山・鎧ヶ峰・母狩山


 標高459mの金峯山、つづく鎧ヶ峰566m、母狩山751m、湯沢岳964mと南へ高度を上げながら連なる摩耶連嶺の山々も古くからの信仰と修験の山であった。主峰摩耶山(1020m)を含み五老峰とも呼ばれ、あるいはまた熊野三山にならって、金峯、母狩、摩耶を金峯三山と言い表わしていて、かつては稜線をつなぎ修験の聖地とした時代があった。
 金峯山はまた、蓮華峯、八葉山などと呼ばれていたという。中腹中の宮から山頂にかけて地質は硬い花崗岩からなり、名石を産していた。これを俗に「金峯石」と称して、城下町や近郷に降ろされ墓石や石垣に用いられた。庄内藩鶴ヶ岡城の石垣もこの金峯石によって築かれたという。中腹から山麓一帯までは植物化石などを含む堆積岩が多く、地形もゆるやかで柔らかい地質になっており、旧参道中の宮までの道は縦横に木の根が往き交って地表にあらわれている。
 鎧ヶ峰と奇妙な山名をいただく母狩山には言い伝えられた物語りがある。今から約900年前の前九年の役で敗れた安倍宗任が母を探してこの地に至った。すでに陸奥を離れこの山の麓の里に逃れ住んでいた母と無事再会を果たすのだが、その後宗任は母を連れて京に上り再起を試みるが、母はそれを聞き入れなかった。宗任も結局志を断って近くの峰に登り、洞窟に自らの鎧を奉納し、世の平安を祈願した。――里の背後に立つ山の名を母狩山とし、鎧をおさめた峰を鎧ヶ峰というようになった。
 母狩山へ登る起点の里村谷定は湯田川と並ぶ孟宗竹の特産地である。牧歌的な風景の中を、今、高速自動車道が走っている。


●山頂、金峯神社
●金峯、鎧、母狩の峰々
●鎧ヶ峰山頂


  鶴岡市の南に突き出て接する山々は冷温帯の地区に入り、森林はブナやナラで構成され、植物は積雪が多いためにこれに耐えて咲く。例えばユキツバキは幹がしなやかで枝分かれして高くならず、雪にうずもれて厳しい冬を過ごす。また、金峯山にはスミレが多く、デワタチツボスミレや珍種のイワフネタチツボスミレが咲く。
 母狩山は鶴岡市で最も高く標高は751mである。かつてはブナ林で覆われていたが炭などを作るため伐採をつづけ、その後に植えられた二次林、ナラなど一般的な山地性樹林の多い山となった。「ホカリ」を冠した植物にホカリヒゴグサがあり、山裾の一部に分布するが、スゲの仲間で貴重な植物である。
 この地域は東北地方の南部に属し、日本海にも近いので南北双方から渡る鳥たちがいる。春に、遠くインドやミャンマー棲むブッポウソウは金峯山頂近くに来て産卵する。この鳥はここを北限繁殖地としていて、県の天然記念物に指定されていた。春の女神と呼ばれるギフチョウも庄内が北限に近く、4月から5月にかけて山中の花々と共に出逢う。西の高館山や熊野長峰でもみられる。
 金峯山・鎧ヶ峰の尾根の途中、少し下って竜神池があり、雪解けを待ってここにトウホクサンショウウオの産卵が見られる。多くの昆虫と小動物が快適に暮らす。


Copyright (C) 庄内広域行政組合. All Rights Reserved.