BACK NEXT


 毎年11月の中旬も過ぎるとタラ漁は始まるが、新しい年が明けて、正月気分も少しずつ抜けてゆく頃、港々は俄に活気づいてくる。庄内の底曳船のほとんどが最盛期を迎えた名物寒鱈漁に明けくれる時期にきたのである。
 漁師の家に生まれてその7代目。漁を生業としてから40年近い池田亀五郎さん(53才)に、鱈漁をはじめ庄内の漁業などについて聞かせて頂いた。池田さんは県漁船保険組合、県底曳網漁業連合船頭会の要職にあり、また酒田底曳網漁撈長会々長と県の無線協会の会長も務める―超多忙の"海の男"である。
「鱈漁の醍醐味か、ウーン。そうだな鱈がドーンと網いっぱい入り、それが海面に昇ってくる、海が眼の前で盛りあがってのー」
 時々海を覗きどれ程網に入ったか確かめる。多量に入った時は海の底が青くなりやがて白く泡立ってくる。次のほんの数秒この大量の獲物が一挙に海上に浮び、眼前に島か丘のようにせりあがった海の姿を見るのだという。鱈やアカラ(ヤナギのメ)など、一般に"うきもの"と呼ばれる魚の豊漁の際に見られる現象である。超大漁の時には網が破れそうになることさえある。
「以前1回の漁で7kg〜10kgモノが800本以上獲れたことがある。箱にして4〜500かな。でも年を重ねて水揚量は減ってるな。まあその年々で豊漁の魚がちがうから、今年獲れないからといって悲観することはない。」
 池田さんの船は第28広徳丸、29.27トンの中型底曳網船である。初めは木造船であったが18年前から現在のFRP(強化プラスチック)船に乗っている。床棚にその模型が飾られていた。
 9月1日秋漁の解禁日、その日獲れた魚の種類を年代順に思い返してみるだけでも庄内の漁の歴史が見えてくる。
 20年ほど前はハタハタで、新潟県境のウマノセ付近がよく、5〜6年続き、次の10年は最上堆に移ってやはりハタハタ。タラ漁は10年前頃がよかった。そしてエビ、ホッケ・・・。ハタハタは昭和52〜53年でいなくなったし、底潮の流れが変わってきているのではないか、ともいう。
「大体10年前の魚と今の魚の値段が違うんだ。今の人は魚の食べ方を知らないよ。カレイやヒラメ、タイなんて皿付で一番最後まで残ってる。口細(マガレイ)もいなくなったし・・・水温も温暖化でか変化してる。人のくちが贅沢になったのかな。」
 鱈汁は昔からあって、おかあさんのカラフト仕込の手料理が旨かった、という。今はオス鱈が高価であるが以前はメス鱈の方が上。タラコの醤油漬、コズケなど保存食としての価値があった。もっとも今庄内の地鱈は高級魚になっていて特に"由良鱈"といえばブランドもの扱いである。また鱈は庄内が一大消費地であり、時化をついてでも出漁する場合がある。"鱈は時化に強い"魚である、と。
「漁師は私の代までかな…」
と笑いながらいう。今船頭は60才代が平均で池田さんはまだ若い方だが、やはり後継者は育って欲しい。庄内の漁業を担う若い男たちのきづなができつつあるとも言う。

競売(セリ)を待って並べられた鱈
▲競売(セリ)を待って並べられた鱈


Copyright (C) 庄内広域行政組合. All Rights Reserved.