![]() 藩政時代の米遣い経済は明治維新を契機に次第に金本位の経済体制に移行する。それに従って、藩の収入の大部分を占める貢納米を収め、保管し、それを裏付けとして発行された”米札”の流通を支えてきた倉庫は、商品としての米の流通調整の為の倉庫へと変わってゆくのである。その時、これまでの厳格な米への姿勢は崩れ去り、同時に明治新政府の財政難によるインフレや西南の役(戊辰戦争)の勃発に伴ってなされた政府の大量の米の買い入れ、さらに農家の自家消費量の増加によって需要が急激に増大したことなどが重なって、米は生産者にとっても商人にとっても商品価値が上がってゆき過ぎた。そのような状況下での米商人の投機買いがあり米価は暴騰し米質は加速度的に下落した。庄内米は、ついに「奥州の鳥またぎ米」という悪評までこうむったのである。 |
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