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酒田中華の歴史

 庄内の中で酒田市の酒田中華は、自家製麺の割合が高い事で知られていて、大正時代に酒田に中国人が移り住み中華そばを伝来、この地に伝え広めたのがきっかけで、酒田庄内の紀行風土に合った中華そばを一代目が開拓して来た。港月食堂から単を発した酒田中華の父系は、満月・三日月・大来軒、が枝分かれして出来ていった、満月は新月・龍月・昇月、三日月軒はおのおのの支店、大来軒は駅東・上安町・大丸・遊佐町に枝分かれして、今現在二世代目の継承・のれん分けが酒田中華には有る。しかし 3年前に中町の来々軒の本店が、今年の9月に三日月軒の本店が、そして12月に松竹庵が次々と一代目店主の高齢化が理由で姿を消した。酒田中華の店は基本的には世襲性なので継ぎ手がいなければ一代限りなのだ、現在大来軒の店主の年齢は60代、代次が居ないので無くなると嘆いていた。酒田中華は支店が次いでるから良しとすればいいのだろうか?。 酒田で最も店舗数が多い三日月軒、数店を食べてみるとやはり、おのおのの店に個性がある、方向性は同じでも基本的には市場競争なので製麺に工夫を加えたりスープにオリジナリティを持たせている、つまり本店とはまた違った酒田中華になっている、三日月軒であれば、昔の味を維持しているのはむしろ秋田市の三日月軒であろう。秋田市の三日月は北新町の暖簾分けだそうだ。

酒田中華のスープ
三日月軒中町支店

 現在のグルメブーム、健康食品ブーム、これは店にとって、客相が代わって来た事を物語る。米離れ、ダイエット、健康食品ブームは、戦後の食糧難、高度経済成長期の国民食としての役割とは正反対の時代にさしかかったと言える。最近のグルメブームには疑問が有る、「あそこの店は味の素使っているから、舌がしびれる」と言うことをしきりに言う人がいる、店に文句まで付けたそうだ、私は「味の素の何処が悪いのか」尋ねてみたら化学調味量だから体に悪いそうだ、あるテレビ番組でグルタミン酸、イノシン酸の相乗効果について習った記憶がある、味の素はイノシン酸の生成結晶が入っている、これを主食にする人はいないのだが、煮物などに入れるとひと味ちがった旨みが出てくる。原材料は主にサトウキビだが、 同じ原料から作られる砂糖結晶に文句を付ける人は誰一人いない。 酒田中華のスープは魚介類の出汁の利いたすっきり味のスープ、しかしベースはやはり豚骨や鶏ガラに野菜の切れ端の旨みを加えた物である、しかし酒田中華のスープの透明な澄んだスープに鳥臭さや豚くささが余り感じられない、実はこれが酒田の食文化の違いなのである、酒田ではギトギトラーメンは余り売れない、最近出来たラーメンチェーンもこれには驚きだっただろう。
秋田市 三日月軒

酒田は港町、漁業文化と農耕文化が栄えた土地柄でつい最近まで豚の内臓を食べなかった土地柄なのだ、終戦直後、食糧難の中、豚や牛が食料として手に入らなかった時に、馬肉がもてはやされた時代があった、その名残は今、酒田中華の麺の上に乗るチャーシューに残る。それは 酒田中華はロース肉(もも)のチャーシューが主流な事だ、酒田中華の約8割がモモチャーシューなのだ、県外から食べに来る人が「あの草履のようなチャーシュー」となじるが、今でこそロースチャーシューが豚肉であるが、昔は馬の足のモモ肉を「ソーキ」と言い、昔は「ソーキ」でラーメンのスープをも取っていた、今も新庄にその習慣が残っていて本場でもある、昔は油の少ない骨付きロース肉で出汁をも取りチャーシューとしても食べる事で無駄が一切出ない酒田中華が出来て行った、もも肉に油分が少ないので澄んだスープが出来上がった。しかし「ソーキ」だけでは物足りない、漁業圏なので海鮮の出汁が加わったのは必然だった、いや、むしろ酒田中華の開発段階では海鮮スープを中華にするために動物系の食材が加わって行ったのだろう、やがてソーキは時代の流れと共に、味の素、豚骨鶏ガラに代わって来て現在に至った。


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