『カーネーション』 1985年04月(第245号) 

 動く事で情熱は生産され、維持されるよ
 うに、精神的にも力学、殊に“慣性の法
 則”が存在する。日常の流れを変え、断
 ち切る事は中々難しい。カーネーション
 は、空間の断ち切り方で鮮やかである。
 閉塞せず、千切り取られたような花弁が、
 上を向き、複雑に絡み拡がってゆく。結
 婚式で、多く使われるのも納得できる。
   

 『荒瀬川』   1985年05月(第246号) 

 クレイジーな事、社会的でない事、非生
 産的な事が本来は大切で、 それが“生き
 る”って事につながると思うのだけど、
 イージーに社会的生産に携わったりする。

 ついつい“生活”しすぎちゃって、毒も
 薬もなくし、私は菜についた青虫になっ
 てしまった。川も私も流れは早い。

 
 『ゆ り』    1985年06月(第247号)  

 小さい頃、家には「ゆり」が2〜3本あ
 り、毎年夏になると白い花をつける。大
 形で、花の位置も高いが印象は優しかっ
 た。形態心理学的にいうと、顔を下15度
 に向けると相手に尊敬、柔順の意を表わ
 すという。しかし、この「ゆり」は上を
 向き、背も低い。やはり、やや快活な感
 じがする。
 
 
 『桔 梗』    1985年07月(第248号) 

 時代劇でいえば、少し影を引いた暗い感
 じの二枚目で、腕は立つ……といった雰
 囲気。確かに“表に立つ”ような、花で
 はない。しかし“キキョウ”は私の最も
 好きな花の一つで、昔、秋田駒の急坂の、
 頂上付近の群落を思い出す。濃い青紫の
 薄い花びらが、光を透かして咲いている
 姿は美しい。

   
 『芙 蓉』  1985年08・9月(第249号) 

 “芙蓉”の花は短い。夕方、庭から持っ
 て来て、描こうとする時には皆、萎んで
 いる。でも、次の日の朝、思ってもいな
 かった蕾がぱっと開いていたりする。そ
 して花が終ると、萼(がく)の下、1cm位
 の所から色が変わり、切ったようにポロ
 ッと落ちる。気味が悪い位に潔い。


 『人 形』  1985年11・12月(第251号) 

 人間に近づこうとして、近づけば近づく
 程、少女の夢は凍りつく。永遠の命の代
 償に、少女の時間は停止する。生きる事
 も、死ぬ事もできず、硬直する。口の端
 に、命の残像……微笑。


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