おまけのおまけ
今どきのこいのぼり
我が家では,仙台転勤時に「本町のおばあちゃん」に買って
いただいた「団地サイズ」のものを使っております。
おかげさまで,10年近く使っているせいか,ずいぶんと
「お疲れ」の状態であります。
でも,いけしゅの頃から見れば,あるだけマシ..
ということでしょう!!
「風車」「吹き流し」「鯉3匹」のセットですから,
それなりに立派なシロモノでございます。
いけしゅの頃のこいのぼり
いけしゅが少年の頃(あったのか?)は,
近所でこいのぼりを飼っている?ところは珍しく,
羨望の眼差しで見ておりました。
保育園と小1の時に,みんなと一緒に作り,
「やねよーりーたーかーいー♪」と歌いながら,
家に持ち帰り,柱のあたりに下げてもらっていた..
そんな古きよき時代だったカモ...
逆に言えば,
小2の頃からは,一切
「姿を見なかった」という寂しい状況だった..
チョトせつない「いけしゅ少年」でもありました。
今どきの母の日
我が家の母の日は,例年,
両方のおばあちゃん&ワタシの妻に,
日ごろの感謝(またの名をゴマスリ)
をこめて,カーネーションと,たぶん
エプロンなど贈ります。
(一時期,妻のまわりはエプロンだらけ?
なんていうこともあったような..)
それでも,鉢植えのカーネーションや
「お母さん若いから!」と,チャラチャラした
エプロンを贈るなど,100点満点の
ゴマスリよろしく,なんとか家庭を守る,
「けっこうマメ?」ないけしゅであります。
(疲れるんだヨナ,これが..)
いけしゅの頃の母の日
小1の5月に倒れたいけしゅの母は,
ちょうど「母の日」にも病床にあり,
初めてのプレゼントは「病気の母の絵」でした。
どうしても書けず,とても,よその
「元気なお母さん」がうらやましかった,
いけしゅ少年..7才の春..だったカモ..
それでも母の日
母の日,といえば赤いカーネーション..
たまに白い..いけしゅ家はピンクが多い。
この習わしは,幼くして母をなくした子供が,
亡き母を忍んで,墓標に「白いカーネーション」
を手向けたのがはじまり..とか。
それを,「赤いカーネーション組」の我々
がまねをして,現在に至っている訳であります。
「白いカーネーションはいや!」という
コーラスの曲を歌ったことのある私は,
毎年「赤のありがたさを感じる日」となっています。